今天整個下午都在想,
有許多事,可能都不由人。
許多的巧合,並非由天注定,
只是偶爾、碰巧,就遇上這個巧合。
然而,在這個巧合上你可以作出人為的事情。
無論是意外的人為,還是蓄意的人為,這些人為大多都會成功。
這說明了,
有許多事情,你必須接受,無謂爭扎;
但同時也有不少事,你可以主動去爭取。
但,人往往都搞不清,
何時是那個「巧合」,
何時又該是那個「人為」。
有許多時,我都「獨孤一味」,
強行爭取,又或聽天由命,卻甚少兩者並行。
要弄清什麼才該爭取,什麼時候該放手,其實很困難。
也許,也許,真的就這樣吧。
順其自然其實也就這樣吧。
好的,不好的,也這樣吧。
我想,我真的想誠實面對自己。
然而,要把盛滿著混濁水的玻璃杯打破,需要很大的勇氣。
可能這些水會隨著時間,由陽光蒸發,最後散去;
亦可能水會流至陰暗的地下坑渠之中,不見天日;
又也許水會由人齊心合力抹乾,到最後消失不見。
但,潑出去的水,難以收回;
破鏡,難圓。
同一道理。
有誰能擔保結果是一定的?
又有誰有這個讓玻璃杯「砰」的一聲,徹徹底底、瀟瀟灑灑,戲劇性地突然破碎,使水都灘在地上的勇氣?
有誰,想渾這淌渾水?
有誰,願意把處於針上的平衡打破?
一碰,所有的所有都會如掛在牆上的砌圖洶湧瀉地般,
崩潰。
只是杯子盛載著濁水,站在這針的尖端上,又有誰願意?
有誰不想重新盛一杯清水,站在平地之上,讓一切安穩依舊,不添幽愁?
冬天遠去,春天漸過,夏天將臨,
但秋天的愁,
仍在。
那已是,上世紀的事。
又或者,前一秒的事。
-
峯岸みなみ - 私は私
歩いている今の道は
いつか望んできた道なのに
風が少し吹いただけで
不安に思う自分が嫌い
あの頃に見ていた夢は
眩しいくらいか輝いて
迷いなど
何もなく
信じてた遠くの未来
なぜに涙がこみあけで
溢れるのだろう
恵まれていてしあわせだと
わかってる
立ち止まったら
歩けなくなってしまうから
頑張って 私は歩く
一绪にスタートしたはずの
仲間はずっと先に行ってる
後ろ姿 見えない時
自分の足が遅いと思う
それぞれが目指した场所や
そのスピード違うのに
悔しさと
苛立ちに
負けそうな時もあるけど…
私は私なんだよね
大丈夫だよ
誰かにちょっと甘えたくて
言っただけ
いつも笑って
楽しげに振舞ってるけど
弱いのは みんなと同じ
なぜに涙がこみあけで
溢れるのだろう
恵まれていてしあわせだと
わかってる
立ち止まったら
歩けなくなってしまうから
頑張って 私は歩く
私は私なんだよね
どんな自分も…
人は誰でもマイペースで
生きている
きっと見つかる
私しか歩けない道を
もう少し ゆっくり歩こう
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